なぜ、この場所を「耳せん女子」と名付けたのか

前記事の通り、私は難聴のリアルを伝えたくて、ブログを作り、記事を書く自分の時間を大切にしたいと考えています。
このブログは「耳せん女子」という名前です。何故なのか、少し触れてみたいと思います。

あえて「耳せん」という言葉を選んだ理由

ずばり、耳せん=補聴器 なのです。
私にとって、切っても切り離せない存在である補聴器。すごく大事なものです。
じゃあ「補聴器女子」でいいじゃないか、とも思えますがそうではなくて。あえて日常的に使うような言葉である「耳せん」を選ぶことで、柔らかさを込めました。

難聴はいわゆる「聴覚障害」という言葉を連想させます。でも、厳密に言えば「私の」難聴は障害とは呼べないんです。なぜなら、そう認められていないから。

60dBという「宙ぶらりん」状態

ちょっと話が横に逸れますが、私は両耳とも60dBという聞こえですが、このレベルでは障害者手帳を持てないんですね。国でそういう決まりがあるんです。また別途詳しくお話ししたいと思いますが、そうなんですよ。

じゃあ障害がない、いわゆる「健聴」なのかと聞かれると全然そうではない。この宙ぶらりんな状態、個人的にはすごくもどかしいですね。なんとか法制度を変えたいです。(このもどかしさも、書きますね)

話を戻して、この宙ぶらりんを示すのってなにかなーと考えたときに、耳せんという言葉が浮かびました。障害とは言えないけれど、もっとみなさんに身近に感じて欲しい思いもあり、少し可愛らしい響きを持たせました。

世界と繋がる道具、素に戻るためのスイッチ

補聴器は単なる機械ではなく、人生の一部であり、私のお守りでもあります。
補聴器をつけると、世界は賑やかになります。外すと、私だけの静かな時間がある。世界とつながるための補聴器と、音を遮断する道具の耳せん。一見相反するものと捉えられそうですが、私にとってはそうではないのです。2つでひとつ。それが私のアイデンティティにも繋がっています。
補聴器という名の耳せんを外した瞬間、私はふっと素の自分に戻ります。(外では気を張っています)そこには静かな世界が広がっていますが、怖くて孤独な場所ではありません。

制度の壁は厚いけれど、まずはこの「耳せん女子」から私の『固有色』を発信し続けていこうと思います。耳せん越しの景色は意外と鮮やかだったり面白い発見に満ちています。辛いこともそりゃあるけどね。そんな私の日常を、羊皮紙に記すように、大切に届けていきたいです。このブログが、私と同じように「宙ぶらりん」な思いを抱えている誰かにとって、また難聴を知らない誰かにとって、ふと立ち寄れる止まり木のような場所になれば幸いです。

今の私を届けたい

じゃあ「女子」ってなんだ? これは私の願望を込めてます! いつまでも女子でいたいじゃん! という、ね。
このブログ名から、あなたはどんなイメージが湧きますか?

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