ざあざあと降り始めた雨にエリーナは顔をしかめた。ここから近い温室で雨宿りをしたほうが良さそうだ。ローブのフードを深く被った。エリーナは傘を出す魔法が苦手で、まだ上手くできたことがない。父母が生粋の魔法界生まれのエリーナは、マグルの使う傘というものをよく知らない。それが理由と思えるほど、傘を出せたと思っても穴が開いていたり骨が折れていたり、結果は散々なものだった。そういえば、ビルは上手だったなとふと思い出す。確かお父さんがマグルの用品などが好きなんだっけ。それが影響してそうだな。
ビル・ウィーズリー。エリーナの好きな人だ。最近はN.E.W.Tの勉強で忙しいから、なかなか顔を合わせていない。会いたいなぁ、とエリーナは雨の中、走りながら思った。温室はもうそこだ。バシャバシャと足音を立てて、ローブの汚れが少し気になるが、この雨だ、しょうがない。ホグワーツの学校内はとにかく広い。最初の頃は迷いに迷って、授業に遅刻してしまったこともあった。そんな時に、ビルに助けられた思い出がある。大丈夫? と言った少年はとても目立つ赤い髪で、とても優しい声だった。
ガチャリと温室のドアを開くと、中の暖かい空気を感じられた。濡れてしまったローブを脱ぐと、エリーナは一息つこうと辺りを見回した。温室の中はひっそりとしていて、この空気感は嫌いじゃないとエリーナは思った。少し歩いて回ろうとした時、緑が多く見える一帯に赤い色を見つけた。
「ビル!?」
声を出すと思ったより大きくて、ちょっと自分でも驚いたエリーナは直後、ふんわりと暖かい気持ちになった。会いたい人だった。会えた。背を向けていたビルも少し驚いたのか振り返って、そんな顔を見せている。
「エリーナ! どうしたんだこんなところで」
「雨に降られちゃって。だいぶ濡れちゃった」
手に持っていたローブを広げてバサリと雫を払うエリーナを見て、ビルは心配そうな顔で駆け寄ってきた。杖を取り出すとエリーナに向けてさっと振る。エリーナはぶわっと風を感じたかと思うと濡れていた不快感がなくなった。ローブだけでなく髪まで乾いている。
「ありがとう、ビル」
「風邪でも引いたら大変だ。それにしても雨か。しばらくここで時間潰そうか」
「そうね。ビルは? こんなところで何してたの?」
「嚙み噛み白菜の鉢の様子を見にきたんだ。アグアメンティが足りなかった気がしてさ」
「へーー。さすが監督生やっただけのことはあるわね。そんなとこも監督してるの?」
「茶化すなよ」
ビルは少し笑って、エリーナの腕を引いた。自然とエリーナはビルの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「会いたかった」
「……うん、私も」
ぎゅっとビルの腕がエリーナを抱きしめる。エリーナは恋人も同じ気持ちだった、と嬉しくなって、自身も腕を回した。
しばらくそうしていた2人は、身体を離すとお互いに笑い合う。ちょっと照れくさい。ビルはエリーナを近くのベンチへと促した。雨粒がガラスを叩く音がまだ響いている。もちろん帰る気にはならない。エリーナは鉢植えの葉に残った水滴を指で弾くと、隣に座るビルをちらりと見る。
「……俺さ、」
ビルはすこし遠くを見ているようだった。
「グリンゴッツに入りたいんだ」
エリーナは突然の話に目を瞬かせるが、そっと続きを聞く。
「ゴブリンの金庫に眠ってるものの半分は、エジプトから来た宝らしい。“元々はゴブリンが作った武具・宝具だから自分たちのもの“っていう言い分なんだ」
「……何千年も前のもの、でしょ?」
「あぁ。それでも、その“呪いを解く”のは盗掘じゃなくて“返却“なんだってさ。……まぁ、人間から見れば盗みなんだけどな」
「危険な仕事だよね」
「危険じゃない仕事なんてないさ。……君とこうして話すのも、ある意味危険だ」
ビルが軽口を叩く。エリーナはその意味がわかって、かっと耳が熱くなった。雨音が強くなった気がした。
「もう! 冗談言ってないで、続き!」
「はは。……俺は、ゴブリンのやり方に全部賛成してるわけじゃない。金や宝石だけじゃない──そこに刻まれた魔法や、呪いの方が価値があるっていう、な。でも宝を守るっていう仕事は好きになれそうなんだ」
「守るために盗むって、矛盾してない?」
「世の中なんて、矛盾だらけだよ」
そう言ってビルは、少しだけエリーナの方を見た。その瞳は真剣で、言い返せなくなった。
「それに呪いを解くのは楽しい。思考を読み解いていく感覚が、1000年前の職人と頭の中で会話してるみたいで。そういう古代魔法に触れたい」
「……遠くに、行っちゃうのね」
「うん。……でも、帰る理由が欲しい」
温室の空気が、さらに熱を帯びたように感じた。ビルの手が、気づけばエリーナの手を握っていた。
「ゴブリンは簡単には人間を信じない。俺も、そう信じられるものでもない。エリーナ、俺は君を信じてもいい?」
ビルの不安が、伝わる。エリーナも正直、怖さはある。危険だとわかっていても行くなんて。2人の瞳が揺らめき、じっと見つめていなければ、なにかがこぼれ落ちてしまいそうだ。
「ビル」
エリーナはその声に決意を込めた。
「私が、その理由になる。帰ってくるって、信じてる。あなたを待っているわ」
エリーナは、手を強く握り返す。それを確かめると、ビルの顔の強張りが解けた。ビルは手を握り直して、今度は指先までしっかりと絡めた。反対の手はエリーナの頬へするりと置く。
「ありがとう、エリーナ」
囁いて、ビルはエリーナの額に唇を落とした。ほ、と肩の力が抜ける。
すぐに離れていくと思った唇は、次へと向かう。頬、エリーナと握り合っている指先へ。ちゅ、ちゅ、と小さく音を立てながらどんどん進んでいく唇に、エリーナは内心あわあわしていた。このままでは、このままでは……! そんなエリーナをわかっていてやっているビルではあるが、どうにも止まらない。愛しい彼女へ、どうやったらこの感謝を届けられるのか。それだけでは、足りない。
「ここにもキス、したいんだけど」
ビルの指がエリーナの唇にそっと触れた。
「いっ、……いけど」
「けど?」
「きっ、緊張してるの! わかってんでしょ! そんな不敵な笑みを浮かべないで」
「許可は取ったということで」
外の雨は弱まり、ガラス越しに光がほんのりと温室の中を照らしていた。2人はその明るさに包まれるように、しばらく身体を寄せ合い、笑い合い、キスを繰り返した。


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