SNSの片隅で感じた、置き去りにされる「聞こえにくさ」
あの時、私はSNSの片隅でこう感じていました。「やはり、難聴は誤解をされやすいものなんだ」と。
社会に正しく知ってもらう必要がある、そう強く思うようになったきっかけについて、少しお話しさせてください。
2014年、ある事件がメディアを大きく騒がせていました。名前を聞いて思い出す人もいるでしょうか。佐村河内氏の騒動です。
全ろうの作曲家として活動していたけれど、実際には別の人物に作曲を依頼していたことや、聴力検査の結果によっては音が聞き取れる状態であったという疑惑が報じられた事件でした。
この事件の是非を問いたいわけではありません。私が取り上げたいのは、後者についてです。
この騒動によって、世間では「実は聞こえないふりをしているのではないか?」という疑いの目が、難聴者全体に向けられてしまう懸念が生じました。メディアでは「聞こえる」か「聞こえない」かの白黒論で語られ、SNSでは当事者たちが、そうじゃないんだ、というもどかしさや憤りを抱え、その気持ちが渦巻いていました。「#難聴を知って」というハッシュタグを見かけた記憶も。私自身も、同じようにもどかしく、悲しい思いを抱えていました。
100人いれば100通りの「聞こえ方」がある
難聴というのは、実は「グラデーション」なのです。
白から黒のあいだには、数え切れないほどの「灰色」が存在します。そしてその灰色は、人によって色の明度彩度、色味が違います。みんなそれぞれ、自分だけの「固有色」を持っているのです。つまり、聞こえ方は千差万別だということです。
例えば、高い音が聞き取りにくい人もいれば、低い音が苦手な人もいます。音が小さく聞こえる人、音が歪んで響いてしまう人。音自体はある程度聞こえても、言葉として聞き取れない人……。
言葉にするのが難しいほど、人によって聞こえ方はさまざまです。補聴器があれば少し助かる人もいれば、それでも難しい人もいます。その「人それぞれの違い」を、どうか知ってほしいと願っています。
「聞こえる(健聴)」と「聞こえない(ろう)」の二つだけではなく、その間にある「聞こえにくい」というグレーの世界。これを伝えなければ、社会の理解がどんどん遠のいてしまう。それがとても怖かったのです。
自己受容までの10年と、消えなかった創作への想い
当時の私は、すぐに行動に移そうと考えました。漫画という形で、ブログを開設して難聴者の生活を描いていこうとしたのです。けれど、なかなか続きませんでした。当時の私は、まだ自分自身の難聴の理解、受け入れることができていなかったんです。
この10年余り、ずっと心の中に引っかかっていました。自分を切り出すのは勇気がいりますし、今でも難しいと感じることはあります。それでも「書きたい」という思いが消えませんでした。
雑多な日常のなかに、難聴のリアルを添えて
漫画にするのはまだ難易度が高いので、まずは文章という選択肢を増やしてみることにしました。
このブログがずっと続くかはわかりませんが、日々の雑多なことと並行して、難聴についても少しずつお伝えしていければと思っています。ここに書ききれなかったことや、もっと詳しくお伝えしたいこともたくさんあります。
いつか漫画で描くことも、諦めずに!(Instagramもよろしくね)


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