きっかけは、大学時代のノートテイク
手話は、ずっと学んでみたいと思っていました。
きっかけは、大学の時のノートテイクをしてくださった学生さんたちが手話サークルに入っていたこと。当時はしっかりサークル活動に参加できなかったので、手話に触れた経験はあれど、ずっと心残りだったのです。
育休中、手話の世界に飛び込んだ理由
私は現在、手話を勉強して4年目に突入します。(2026年4月現在)
自分の住んでいる地域の手話講習会と、難聴者向けの講習会に通っています。
息子が産まれて、育休中になにかを始めたいと思った時に、偶然地域の広報を見て学べる場があるんだと知りました。仕事を休むことで、社会との関わりがちょっと薄れてしまう危機感もありましたね。
速攻申し込み、まずは初級クラスから。
手話という「言語」の奥深さ
そこで知ったのが「手話は言語である」ということです。
ろう者(聞こえない人のこと)の生きるための手段、コミュニケーション方法である手話は、私たちにとっての日本語と同じ。独自の文法を持った、生きた言語です。ただ単語を覚えて、それを羅列するだけではないんですね。
初級ではまぁまず語彙力を増やす必要はあるので、単語を覚えるのに必死でしたが、それを知った上で、中級で手話の文法を学んで奥深さを知り、上級クラスで自分の言いたいことをいかに伝えるかの表現方法を考えていく。四年目の今は、単語を表出するだけではなく、心やろう文化を表現している感覚に近いです。
さらにその上の通訳者養成クラスは、地域の登録手話通訳者を目指す目的のものとなります。今度、養成クラスを受講するための面接試験があります。その話はまたおいおい。
難聴の私にとって、手話は救いだった
そして、なぜ自分が手話を学び続けているのかと考えた時に浮かぶのが「難聴である自分」です。将来、今より耳が聞こえにくくなるかもしれない。その時、手話は必要になってきます。
ということも含め、コミュニケーション方法を増やしたいという思いがあります。私は読話(口の形や動きを読み取って言葉を理解する方法)メインで今まで生きてきました。結構辛いなー限界があるなーと思っていた矢先、手話という方法もあると、知れたのです。読話の限界については、またおいおい。(おいおいが多い)
手話の世界に飛び込んで、コミュニケーションが楽になりました。もちろん話す相手が手話を知っている必要はあるのですが、それでも、一生懸命口を読んで、でも完璧にはわからなくてだんだん話についていけなくなり……、こんな寂しい思いをするより、自分の手助けとなる手段は多く持っていたほうがいいなと思うようになりました。
文字が運ぶ情報、手話が届ける体温
自分が難聴であるという認識を深めてくれたノートテイクと、手話がどう違うか、というお話も少ししてみましょう。ノートテイクにもいろいろな形があります。文字で情報を保障するだけでなく、手話通訳という方法もあります。
当時の私は手話がわからなかったので、文字での情報で、大学の講義を理解していました。
振り返ってみると、情報の質感が違うなぁと思います。
パソコン画面に並んだ文字は理解しやすいです。情報も残っているので講義の時間内に読み返したりできます。
手話で受け取れる情報は、ダイレクトさがあるなと思います。相手の話のニュアンスや、その場の雰囲気を情景的に伝えてくれます。
あのころ、学生であるノートテイカーさんが必死にパソコンに向かって文字を打ち込んでくれていたように、自分も手話で情報を届けることができるといいな、と思います。あの姿勢は見習いたいし、尊敬します。ありがとね!
手話通訳養成クラスへの挑戦と、これからの夢
さて、養成クラスの面接を控えた今、自分のために始めた手話が少しずつ変化しているように感じます。それは「人と人を繋ぐ」ことです。
世の中は、「聞こえる人」と「聞こえない人」だけではなく、グレーゾーンである「聞こえにくい人」も多くいます。その人たちの間を繋ぐ「橋」として活躍したいなぁ、なんて思うわけです。


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